道徳ってどういうことですか?

  「道徳ってどういうことですか?」とチャットGPTに訊いたところ、『道徳とは、人間が社会の中で他者と共に生きていくうえで守るべき善悪の基準や行動の規範を指します。簡単に言えば、「どう生きるべきか」「どう行動すべきか」に関する考え方や価値観です。』と答えてくれた。また法律や校則のようにルールとして他者から強制される行動規範ではなく、「人としてどうあるべきか」という内面的・倫理的な指針であるとも。具体例としては、「挨拶をする」「約束を守る」「嘘をつかない」「思いやりを持つ」「他人を傷つけない」「感謝の気持ちを持つ」という内容もあげられていた。こういうことは広く正しい行動規範として社会で生きていく中で自然に学んでいくもので、特に学校で教わったというものではないだろう。(もちろん、学校も社会であるのでこういうことを教師が生徒に指導することはある)

宗教が教育にはたす役割

 では、こういう行動規範はどこから生まれ出てくるのか。世界では、人々のこうした行動規範の中心にあるのは宗教である。例えば、キリスト教ではその経典である新約聖書には相手の価値や行いに関係なく、見返りを求めずに与える無償の愛が述べられ、他にもキリストは「神を愛し、隣人を自分自身のように愛しなさい」という言葉や「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」という隣人愛も説いている。そして愛は感情や言葉だけではなく、「隣人に対する善」「困っている人を助ける」「赦し、和解する」など実際に行動することが大切とされている。

 こう考えるとこの前、報復死球合戦で大谷翔平が死球を受けた際、味方ベンチを制止して笑顔で一塁へ歩き相手チームの選手と談笑した姿は新約聖書のイエスキリストの教えとそう違わないものであり、「やられたらやりかえす」とは真逆。ちなみにキリストはハンムラビ法典や旧約聖書の言葉を引用し、『あなたがたも聞いているとおり、「目には目を、歯には歯を」と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい』という有名な言葉も残している。

日本人の道徳観はどこから生まれているのか

 日本は7割以上の国民が信仰や信心を持っていないと公言している世界でもめずらしい国(世界では無宗教の人の割合は15%)である。しかし、国際社会では日本人のモラルは高いと云われている。それでは宗教からの影響が薄い日本人の道徳的価値観がどこからきているのか。それを明治時代に答えたのが大谷と同じ岩手県出身の新渡戸稲造である。(5000円札の肖像にもなっている)新渡戸は、武家に生まれキリスト教の信者であった人物で、外国人の友人や妻から日本では宗教教育がないのにどうして道徳観を育むことができるのかと問われ、その答えを「武士道」にまとめ、この本は世界中でベストセラーになった。

日本人の心に咲く桜花「武士道」

 新渡戸によると、武士道とは、日本の象徴である桜花に勝るとも劣らない日本の土壌にある固有の華。そしてこれを一言でいうと支配階級であった武士の「高い身分に伴う義務(ノブレス・オブリージュ)」と表現できる。武士が武士として存在するために必要な守るべき道徳的徳目の行動規範で、成文法はなく、口伝か、著名な武士の格言によるものであるが、実際の行動にあたっては強力な拘束力を持ち、人々の心に刻まれた掟である。武士は恥を何より恐れる。この恥とは「卑怯者」「臆病者」のレッテル。このレッテルを貼られてしまうことは武士としての存在意義を失うことを意味する。そしてこの行動規範が武士だけではなく日本人全体に広く浸透して封建制度が無くなってもなお日本人の理想の人間の在り方として息づいている。

打算や損得を超越し、自分が正しいと信じる道を貫く「義」

「義」を貫くための勇気である「勇」

上の立場の者の徳であり、愛、寛容、他者への同情、憐みの情という人間の魂が持つ性質の中で最高のものと認められている「仁」

相手に対する思いやりの気持ちを目に見える形で表現する「礼」

嘘やごまかしをせず、約束は違えず、言ったことを成す「誠」

恥や他人から侮蔑されるような振る舞いを嫌い、名を惜しむ「名誉」

主君へのへつらいや追従ではなく愛する者のために命をかける「忠」

こうした道徳観は今も日本人の心に息づいている

日本野球道が生んだ世界の大谷翔平

 大谷翔平が故意に死球を受けた際にも相手に激昂することなく、味方ベンチを制止して笑顔で一塁へ歩いた行為は、旧約聖書の「やられたらやりかえす」でも、キリストの「右の頬を打つなら、左の頬も」でもなく、日本人の「武士道精神」から生まれた、「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」、そしてチームやファンに対する「忠」の精神が発揮されているものに感じられる。そして大谷選手にこの精神を育んだのは、日本の「野球道」ではないか。学生野球の草分け的な存在である飛田穂洲先生や安部磯雄先生は明治にアメリカから伝来した「ベースボール」を、日本の武道に流れる「武士道精神」を身につけ人格を形成する場として捉え「野球道」に昇華させた。そして、その精神を現在にも受け継いで全国各地で野球の指導にあたる野球関係者は数多い。大谷はその中から生まれた日本野球の至宝ともいえる。

そういう意味でもホームランの数や二刀流という野球の結果だけではなく、このような振る舞いができる大谷選手を同じ日本人として誇りに思う。

投稿者

管理人ひろ

大学卒業後、サラリーマンとトラックの運転手を経て中学校の教員として30年間勤務。2025年3月、57歳で早期退職。FIREの生活に入る。人生のセカンドステージのキーワードは「志に生きる」

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