メジャーリーグの死球報復合戦

 昨日、メジャーのドジャースVSパドレスの試合は、報復死球合戦の様相で、9回表にはパドレスのスター選手であるタティスJrの死球をきっかけに両軍入り乱れての乱闘騒ぎとなり、その裏に今度はドジャースのスター選手、大谷翔平が死球を受けた。スタンドから大ブーイングが起こり、不穏な空気が漂う中、大谷は味方ベンチを制止して笑顔で一塁へ。さらに相手選手と会話を交わす異例の行動を見せた。

 日本では、この話で大谷がとった行動が称賛されているが、アメリカの常識は違う。報復死球は、MLBに長く根付く“アンリトゥン・ルール(Unwritten Rules)”の象徴だ。味方選手がぶつけられたら、次の回にやり返す。それは明文化されていないが、暗黙の了解として受け入れられてきているものである。日本だと今の時代にまだそんな考え方をしているのかと信じられないが、「やる方も、やられる方も納得している」空気が残っているのが今のMLB。

「やられたらやりかえせ」は正しいのか

 イスラエルのイラン空爆も、「やられたら倍にしてやりかえす」の発想。そしてそのイスラエルをアメリカのトランプ大統領も支持している。日本では、「やられても我慢する、やられてやりかえしたら相手と同類になる」といった論理も見られるが、「やられたらやりかえす」の論理は果たして正しいのだろうか?学校でもよくいじめの問題で、面談などで親からよく出てくる話が「うちの子にはもし誰かに叩かれたり、いじめられたりしたらやりかえせ」といっていますという話。自分もかなりこの考え方に近いのだが、教員としての立場上、「そうですよね」とは言えない・・・。「やりかえせない優しい子もいるので、そういう子がやられたときにやりかえせない自分が悪いと思ってほしくないんです。そういう時は教員に相談してほしい」と話すのだが・・・。

 昭和的な価値観の中では、こども同士の争いで、大人に相談するというのは、「先生にチクった」という話になり、ある意味卑怯者みたいな扱いになるので、昔はいじめられても先生にも相談しないし、親に相談したところで「何やられて黙っているんだ。情けないな、相手をやりかえしてこい」と言われて終わり。自分も小学生の時に、親に相談したわけではないが、どこかの家から「~と喧嘩して負けたみたいよ」みたいな話が母親の耳に入り、「今すぐ相手の家に行ってやりかえしてこい、勝つまで家に帰ってくるな」と言われ家を追い出された記憶がある・・・。今考えるととんでもない時代だが、それが当時の社会の暗黙の了解で常識だったのだろう。

「目には目を 歯には歯を」

  「目には目を 歯には歯を」で有名なのは、四大古代文明の中でも一番古いメソポタミア文明最盛期である今から3700年前に楔型文字で岩板に書かれたハンムラビ法典。このメソポタミアの地はまさに今紛争が起きているイラン、イスラエルの場所を含んでいる。そしてこの言葉は旧約聖書でも、出エジプト記やレビ記に「目には目、歯には歯、手には手、足には足」と記されており、この旧約聖書の教えに従うユダヤ教では同害報復の考え方をしていたことがわかる。そしてこのユダヤ教を信じるユダヤ民族が建国したのがイスラエルで、このユダヤとイスラエルを全面支持するのが、アメリカに5000万人いるとされるキリスト教福音派。そしてこのユダヤとキリスト教福音派が支持するのがアメリカのトランプ大統領なのである。

弱肉強食の論理で動く大国

  「やられたらやりかえす」という考え方は、「やりかえせないのは弱いから、弱いのが悪い」という話になり、結局は「力こそは正義」「力のないものは力のあるものに従え」という弱肉強食の論理となる。この論理でアメリカにしろ、ロシア、中国という世界の大国も動いているという事実を、日本人も理解しなければならない。今度はそのことについての日本人の価値観と道徳観について書きたい。

投稿者

管理人ひろ

大学卒業後、サラリーマンとトラックの運転手を経て中学校の教員として30年間勤務。2025年3月、57歳で早期退職。FIREの生活に入る。人生のセカンドステージのキーワードは「志に生きる」

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