紫陽花を求めて

先週、関東地方も梅雨入りし、今年もジメジメとした季節がやってきた。この梅雨の時期に咲く花といえば紫陽花(アジサイ)。道の駅多古あじさい館に5月下旬に行った時には紫陽花がほとんど咲いていなかったので、あじさい祭りが行われた15日に再び多古を訪れたのだが、前回同様ほとんど紫陽花が咲いていない・・・。ただ、たくさんの出店が並び祭りは盛況であった。しかし、川岸の一面の紫陽花を期待していた自分はちょっと、不完全燃焼で、整形外科への通院の帰りに、地元印西の紫陽花どころである結縁寺と松虫寺へ。結縁寺と松虫寺は両方とも奈良時代の聖武天皇の時代に開基した印西の古刹。結縁寺の縁起については、5月2日の「印西の古刹 結縁寺へ」で投稿しているので参照されたい。

松虫寺の伝説

松虫寺は、奈良時代に建立されたというお寺。結縁寺の建立も同時期で奈良の大仏の建立に尽力した行基に関わる伝説が共にあるので、この二つの寺院は何らかの関連があったのかも知れない。松虫寺は、聖武天皇の娘である松虫姫の伝説が残る歴史あるお寺である。松虫姫はある時難病(ハンセン氏病ともいわれる)にかかり、夢に出てきたお告げに従い都からこの地に下向した。夢に見た薬師堂が在り、姫は祈りを捧げ、ついにその病に打ち勝ったとされる。病が全快した松虫姫は都に帰ったが、遺言によりかつて病気の自分を手厚くお世話してくれたこの村に分骨され、松虫寺の奥に現在も松虫姫の御廟が現存している。自分はこの地に松虫姫の御廟があることを知らずにここにきたのだが、帰りがけに、松虫寺の隣に松虫姫神社があるのが、目に留まりこちらも参拝しようと社殿に行ったところ、何となく導かれるように感じでその奥のお寺の本殿の裏に松虫姫の御廟があるのを偶然見つけた。自分は霊感が強い方ではないが、こういうことってたまにあるんですよね・・・。

朝廷の権力争いに巻き込まれた松虫姫

この下総の地は奈良時代の当時は、朝廷から見て支配もはっきりとは及んでいないかなり未開の辺境の地であったはずなので、本当に夢のお告げによって病気を治すために訪れたかどうかは定かではないが、この松虫姫は、天皇家や朝廷の政争に巻き込まれ、親王の座を剥奪されたり(皇族ではなくなること、後に許される)、遠国に配流されたりしていたらしいので何らかの理由でこの地に流されていた時があったのかもしれない。そういう意味では、聖武天皇の娘として高貴な身分の生まれではあるが、当時の権力争いに巻き込まれ(実際、聖武天皇の次の天皇は松虫姫の異母姉妹の女帝、孝謙天皇である)数奇な運命に翻弄され波乱にとんだ人生をおくられた方なのであろう。松虫姫もここで鮮やかな青に咲く紫陽花をみて心を癒された時間があったのだろうか?

松虫姫の御廟での一句 「いにしえの 姫によりそう 青紫

投稿者

管理人ひろ

大学卒業後、サラリーマンとトラックの運転手を経て中学校の教員として30年間勤務。2025年3月、57歳で早期退職。FIREの生活に入る。人生のセカンドステージのキーワードは「志に生きる」

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