4番サード 長嶋

6月3日、ミスタープロ野球 長嶋茂雄さんがお亡くなりになったというニュースが朝方に流れた。自分は長嶋さんが現役の選手だった時の記憶はなく、ジャイアンツの監督としてのイメージが強い。よく覚えているのは、第1次政権の解任の時に、みんなが読売新聞の契約をボイコットしていたこと。自分の家もいつも読売新聞だったが、この時東京新聞に変更していた。近所の家も皆そういう感じであった。現役時代のプレーを知らないので、なぜこれほど長嶋さんが皆から愛されているか理由はわからなかったが、当時の野球少年にとっても長嶋さんの代名詞「4番サード」は憧れだった。
佐倉が生んだスーパースター


長嶋茂雄氏は千葉県が生んだスーパースターでもある。自分の初任の学校は長嶋さんの実家が学区にあったので、辞令交付の後に校長先生に学校に送ってもらう途中で、「ここが長嶋さんの実家だよ」と場所を教えてもらった記憶がある。いわれないとわからないくらいとても普通の家である。ちなみに表札は出ていない。長野に修学旅行に行った時も、中学生が現地の人から「どこから来たの?」とよく尋ねられて、「千葉の佐倉です」と答えると、ほとんどの人が「長嶋さんのところか~、よくきたね」と感慨深げに言うので、日本全国で長嶋さんが愛されていることを実感したことがある。自分も大会等で数々の思い出のある佐倉市の長嶋茂雄記念岩名球場で、追悼の記帳を受け付けているということで、数々の長嶋さんの展示もゆっくり見ようと思い、半年ぶりに岩名球場へ出かけたのだが、やはり結構な人が来ていて、長嶋さんの人気を再確認した。
長嶋さんの打撃論


長嶋さんの打撃の極意は「きた球を打つ」。「そりゃそうだろ」とも思うがこれが、長嶋さんらしさなのだろう。ただ、これをやるためには血反吐を吐くくらいの努力と鍛錬が必要といっている。やはり昭和を代表するスター、よく「長嶋は天才型」といわれるが、天才的なプレーをするために凄まじい努力した人なのである。配球を考えて打つのは二流、一流はあるがまま、なすがままの境地で来た球を打つ。「スーッときた球をバーンと打つ」長嶋さんの打撃理論の中でも好きな言葉だ。自分も生徒に指導する時に「擬音語」よく使ってしまうので気持ちがよくわかる。パァーッと、ダァーと、バーン、バッ、ヒュゥ、スパーンなど長嶋さんがよく使っていたらしいが、自分もこの間、生徒にカーブの打ち方を「ンゥ、パッ」で打つんだと指導したのだが、果たして伝わっていたのだろうか?
自分が好きな長嶋語録
・「松井君にはもっとオーロラを出してほしい」
・「監督の言うことを聞いちゃダメじゃないか」
・「失敗は成功のマザー」
・「疲労の疲れ」「体力の力」「秋の秋季キャンプ」
・好きな数字は「ラッキーセブンの3」
・「ウチのチームはまだ不動のマウンテンじゃない」
・「あきらめてはいけない、人生はギブアップだ!」
これを監督の説教中に言われたら笑いをこらえる自信はありません・・・。
長嶋さんは敗戦から復興するために奮闘した高度経済成長期の日本人の心に輝く太陽のような存在だったのだと思います。ご冥福をお祈り申し上げます。ありがとうございました。