学校での英語教育の推進

21世紀が始まって25年。早いもので21世紀の四分の一が過ぎた。中学校公民の教科書にも出てくる21世紀の日本社会の特徴は3つ。「グローバル化社会」「情報化社会」「少子高齢化社会」である。教育もこの3つの社会の変化を踏まえて行わねばならないのだが、「グローバル化社会」の進展に対し、近年学校の中で英語教育が重要視されるようになっている。英語科教員は「英検準1級以上」の英語力を身に着けることが求められ、研修なども多く設定され大変であるのを校内で見てきた。また小学校の授業でも英語の学習が行われるようになり、それに伴い中学校の英語の授業の内容も高度なものに変わってきている。
退職前、中学1年生の担任を久しぶりにやったのだが、その時の教育相談で感じたのが、以前と比べて英語が嫌いで苦手という生徒が多いということだった。以前は中学校で初めて英語の学習を行う形だったので、中学1年生の最初は生徒も英語の学習が楽しみで頑張ろうという意欲的な子が大半だったが、今は小学校の学習ですでに英語に苦手意識を持って中学校に入学してくる生徒が多いのだ。これでは残念ながら、小学校の先生に多大な負担をかけながら行われている英語教育が効果あげているとはいえないだろう。
サイモンが何を言っているのかわからない・・・

自分も中学・高校・大学と英語をかなり勉強してきたはずだが、英会話ができるかというとまったく・・・。この前5か国語くらいできるALTの先生にどうして日本の英語教育はこうなるのかを尋ねたら、入試の問題が悪い、もっとスピーキングをしないとダメだと。そして英語しか話せない状況(例えば留学など)に身をおけばすぐに話せるようになると言っていた。自分も受験を通過してきたので、文字として書いてある英文なら多少理解できるのだが、音声で耳から入ってくる言葉が「I love you」「See you again」以外まったく聞き取れない。自分はBGT(ブリテンズ ゴット タレント)が好きで先日、YouTubeでアキラ100%の動画を見たのだが、審査員のサイモンもアリーシャもアキラのことについて何と言っているのか分からず悔しかったので日本の英語教育について少し語りたいと思う。
左脳と右脳の役割の違い

教育の目的である人格の形成も学習も、人間の脳で行われるもの。しかし現在の学習方法の研究に脳科学との連携はない。ないどころか、かつて行われてきた知能検査も人権の関係で一般には行われなくなった。あるのは、ADHDや自閉症などの特別支援に関することだけ。以前、自分が社会科の研究発表をしなければいけなくなった時に、右脳と左脳の働きを意識した授業方法の研究発表をしたら、研究会の会長の校長先生に「真面目にやれ」と怒られたことがある。自分でいうのもなんだが、一般の教員からの受けはよかったのだが・・・。
脳は左右対称の臓器ではあるが、機能的に違っていることがわかっており、論理的な思考や言語・計算などを司る左脳に対して、主に感性に関係する能力をコントロールしているのが右脳である。そのため、左脳は「言語脳・論理脳」、右脳は「感覚脳」ともよばれている。もちろん左脳と右脳は独立しているわけではなく、神経細胞の束「脳梁」で、繋がっており、それぞれ情報交換しながら最適な反応ができるようになっている。
音では左脳には入らない
英語について考えると、自分は書いてある文章ならわかるというのは、いわゆる目から文字情報を受け取り、「言語脳」である左脳で処理しているのだが、英語の音声だと、脳がそれを言語とは受け取らずに「感覚脳」である右脳に入ってしまっているのではないだろうか。わかりやすく言うと脳が英語を「言葉」ではなく「音」としてしか認識していないということである。英語の歌の歌詞なども、「言葉」ではなく「音」としてしか感じていないので、右脳に入ったまま「感覚」として処理されてしまっているのでまったく理解できないのである。 「言語」とは何かというと、人の意志・思想・感情などの情報を表現・伝達する、または受け入れ、理解するために用いられる手段である。そしてそれは自分の考えや気持ちを伝えようとするまたは相手から受け取る意志があって初めて「音」ではなく「言語」となり「左脳」に入力されることになる。英会話ができるようになるには、お互いがその言葉によってコミュニケーションを図る意志を持たないとダメなのだ。それがないところで、ただ聞いたり、話したりしていても結局それは「音」として右脳でしか受け取っておらず、「言語」として理解されないのだ。
コミュニケーションの意志の必要性

大切なのは、英語を通じて自分の考えや意志を相手に伝えようとすること、相手の考えや意志を受け取ることである。ただ授業で一方的に発声したり、音声を聞いたりしてもダメで(記憶に残す効果はある)、英語が使えるようになるには、入試の問題に影響されることなく、日本語は使わず、だれかと会話しあうような授業が大切なのだろう。もしかしたらひたすらAIと英語で1時間会話するのでもよいような気がする。でも入試があるからそうもできないんですよね・・・。考えるとALTの先生の話はするどいところをついていることに気づく。何か英語の授業をしたことがないのに偉そうなことを勝手に言っている・・・。小学校の先生、英語の先生、申し訳ありません。