米沢での歴史探訪として、前述の上杉家廟所の他に、上杉神社伝国の杜・上杉博物館堂森善光寺前田慶次供養塔を訪れた。上杉神社の祭神は上杉謙信で、その隣にある松岬神社には、2代上杉景勝とその家臣直江兼続米沢中興の祖上杉鷹山などが祀られている。

上杉博物館

 上杉博物館は思ったよりもとても立派な施設で、信長が謙信に贈った「洛中洛外図屏風」(狩野永徳作・国宝)を所蔵しているので有名なところである。この日は本物ではなく複製の展示(国宝は展示できる期間が制限されているらしい)であったが、上杉謙信直江兼続上杉鷹山の業績や資料を中心になかなか見ごたえのある博物館であった。

「花の慶次」ゆかりの堂森善光寺

米沢の旅の最後には自分の好きな戦国一の傾奇者といわれる前田慶次が晩年に過ごした堂森の地を「花の慶次」の「我れ夢想」や「よっしゃぁ漢唄」などの音楽を聴きながら訪れて、前田慶次供養塔に参拝し米沢歴史探訪を終え、帰途に着く。

ありがとう 米沢・福島

昼過ぎに米沢を出て、福島までは一般道で板谷峠を超えていく。板谷峠では、大量のサルが途中車のすぐ近くに出現し、ビックリ!道を横断しているサルもいるので、サルを轢かないように注意して走行する。いつもこんなにいるのだろうか?

道の駅福島に寄り、福島の名産であるを購入。売れ切れていたらどうしようという心配をしていたが、それは杞憂に終わる。道の駅の外と中に大量の桃が置かれていてさすが福島。お値段もリーズナブルで家に帰ってから食べたらとても美味しい。福島の桃最高!

米沢を昼過ぎに出て、福島市までは一般道で道の駅に寄り、常磐道友部SAで食事をとって休憩したのにも関わらず、自宅には17時過ぎに到着。ESはオートクルーズの性能と直進安定性が高く、高速での運転が楽なのもありますが、結構米沢は近かったです!

上杉鷹山(治憲)

米沢藩の第九代藩主。江戸時代屈指の名君として知られ、2007年に読売新聞が日本の自治体首長に行った「理想のリーダー」アンケートでは、上杉鷹山が1位になっている。上杉家は秀吉の時代は越後から会津120万石の移封され、徳川家康・前田利家・宇喜多秀家・毛利輝元とともに上杉景勝五大老の一人であったが、秀吉の死後に徳川家康が台頭し、それに反発して徳川氏に服従することをよしとしなかった上杉家は関ヶ原の戦いの後、米沢30万石に減封された。その後は継嗣断絶問題もあり15万石まで石高が減ってしまうのだが、謙信以来の尚武の気風が残る上杉家は仕える藩士のリストラも行わなかったこともあり、藩の財政が火の車であった。そしてそんな火中の栗を拾うような厳しい状況の中、藩主になったのが、上杉鷹山である。上杉家は名家であるがゆえに保守的で家中の中に改革へ抵抗する勢力も多く、また鷹山は養子だったこともあってその改革の実行は困難を極めたが、自ら率先して、質素倹約に努め、産業を興して破綻寸前だった米沢藩の財政再建を成功させただけではなく、藩校を造って藩士の教育を充実させ、老齢年金子供手当をこの時代に財政の厳しい中で最優先で実行している。民を大切にするこの政治理念はアメリカのJ・F・ケネディ大統領も尊敬していたのは有名な話で、駐日米国大使になった長女キャロライン・ケネディも2014年に米沢の地を訪れて、父が尊敬していた政治家、鷹山の業績を称え墓所を参拝している。

<上杉鷹山 名言集>

為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり

してみせて 言って聞かせて させてみる

受けつぎて 国の司(つかさ)の身となれば 忘るまじきは 民の父母

働き一両、考え五両、知恵借り十両、コツ借り五十両、ひらめき百両、人知り三百両、歴史に学ぶ五百両、見切り千両、無欲万両

人間は、いつも張り詰めた弓のようにしていては続かない。

伝国の辞

一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候

一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候

一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候

この時代に民主主義の精神を持って政治を行っていた人物が日本にいたことを誇りにしたい!