2011年3月11日の14時46分、東日本大震災の大地震が発生。その日、自分の務めていた学校は卒業式で、地震が起こったその時間は、ちょうど部活動で再登校した生徒たちと卒業式の片付けを行い、練習を開始しようとしていた時だった。その時の大きなゆれは、今まで自分が体験したものとは何かが違い、即座に「これはヤバい」と思った。生徒に指示を出し、避難行動をとり、学校関係では幸いにもケガ人もなく、その日を終えることができたが、東北地方は地震後に発生した津波で筆舌には表しがたいほどの大きな被害を受けた。海洋国である日本の海岸線の長さは約3万kmで世界第6位。地球一周が4万kmなので、すごい長さがあり、先日のカムチャッカ沖の地震で経験した通り、「大地震=津波」の意識と備えを忘れてはならない。

白井市の梨を差し入れ

息子の所属している野球部が福島県の富岡町で合宿をしており、常磐道を走って千葉県白井市産の梨を差し入れにいく。白井市は千葉県民でも知らない人が多い影の薄い(失礼・・・)市だが、最近は紅白に出場した新進気鋭の演歌歌手の新浜レオンも同市の出身で存在感を表し始めている。自分も白井市の学校に勤務していたこともあり、陰ながら白井を応援している。千葉は梨の生産が盛んで、20世紀梨の発祥の地、松戸市やふなっしーで有名な船橋市、その他にも大町梨街道がある市川市やその他にも八千代市など有名な産地は色々あるが、自分は白井市の梨が一番安くて美味しいと思っていて、毎年、白井に梨を夏に買いに行っている。

東京電力廃炉資料館を見学

昼くらいに合宿先に着き、梨を差し入れて、午後の練習を見学していこうと思ったが、練習開始まで少し時間があったので、近くの東京電力廃炉資料館へ足を運ぶ。原発事故から10年以上たって、事故の記憶が日本国民から薄れていっているが、原発事故によって、故郷に帰還できない人や町の再生、廃炉作業や放射能汚染水の処理問題などは現在も続いており、過去のことではない。原発事故当時も原発での現場の決死の対応があって、映画でも「fukusima50」でその壮絶さが描かれているのだが、廃炉作業は自分が生きている間には終わらないであろうということが資料館を見て感じたこと。夏休みの日曜日でも資料館は人が少なく閑散としていたが、問題は現在そして未来も続いており、直接自分にできることは少ないが、福島を応援する気持ち日本国民として忘れずにいたい。近日中にまた「fukusima50」を見ようと思う。

投稿者

管理人ひろ

大学卒業後、サラリーマンとトラックの運転手を経て中学校の教員として30年間勤務。2025年3月、57歳で早期退職。FIREの生活に入る。人生のセカンドステージのキーワードは「志に生きる」

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