いたしません

 「群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、専門医のライセンスとたたき上げのスキルだけが彼女の武器だ…」というナレーションでで始まる有名なドラマ「ドクターX」。このドラマの主人公は医者だが、このドラマが好きでネトフリでよく見てしまう。特にドラマの中で米倉涼子演じる大門未知子はまさに現代の「サムライ」。そしてこの大門が毎回いうセリフが「わたし失敗しないので」「いたしません」。自分はよく失敗するので、「わたし失敗しないので」はあまり共感できないが、いつでも背水の陣を自分でつくり、外科医の使命である患者の命を救うことに覚悟を持って取り組むサムライのような心意気が爽快なのである。そして「いたしません」という言葉にはすごく共感できる。「教授の研究のお手伝い、いたしません」「論文の下調べ、いたしません」「院長回診・教授回診、いたしません」「学会のお供、いたしません」「ゴルフの送り迎え、いたしません」「愛人の隠蔽工作、いたしません」「飲み会のおつきあい、いたしません」「医師免許がなくてもできることは一切、いたしません」。これも自分勝手ということではなく、無駄なことはせず外科医本来の患者の命を救うということに自分のすべての力を集中するのが医師としての自分の矜持の現れ。

医師免許と教員免許の違い

これを教員に置き換えると、「出世の為の研究や発表はいたしません」「委員会の学校訪問のための特別な準備や授業はいたしません」「学校内外での偉い人への媚へつらいはいたしません」などかということか。しかし教師は医者と違い、教員免許に関係のない業務が滅茶苦茶多いのが特徴。例えば、学校内の掃除、草刈り、電話応対、学校設備の営繕・修理、集金会計業務や未払い者への集金の督促、校外の登下校指導や祭りのパトロール、各種募金集め、そして部活動の指導などなど・・・。ここに書ききれないくらい多くの業務があるが、教員免許がその目的としている大学での学習内容を主に、授業と教育学についての学問の内容で、教員の実務ではなく、教員免許を持っていることがイコールで教員として一人前でやっていけるということではない。裏を返すと教員免許を持っていなくてもその資質がある人は問題なく教員としてやっていけるということ。実際に近年の教員志望者の減少によって、教職課程を履修せずに教員免許を持っていない人でも教壇にたてる仕組みができてきていて特に問題なく流れているのがその証拠。

教職課程の履修は大きな負担

現在、公立学校の教員になるためには、まず大学で教職課程を学んで教員免許を取得し、教員免許を所持している(またはする見込み)の人の中で、職業として教員を目指す人が教員採用試験に臨み、合格したら教諭として学校で勤務するという流れ。これだと、教育学部以外の学生は卒業認定に必要な単位以外に多くの教職科目を履修しなくてはならないため、大学に入学してすぐに教員の志望の意志の決断に迫られる。科目履修が他の学生より多くなりるので、学生にとっては負担(特に体育会系の学生にとっては練習の兼ね合いもありキツイ)で、しかも4年次に3週間、教育実習も行わなくてはならない。文科省の推計によると、教員免許を持っている人は全国で約523万人。そのうち、実際に先生として働いているのはおよそ2割の約109万人にとどまる。8割はペーパーティーチャーで免許を持っているだけ。とてももったいない感じがする。しかも教育実習生の受け入れと指導も教員にとっては大きな負担なのだ。自分は大学で教員免許を取得してから教員採用試験を経て教員となる仕組みを変えた方がよいと考えている。その理由については次回に述べたい。