6月から毎週、東京港区の芝公園に勉強しに行っている。今週は水と土の2回。当初は電車で通おうかと思っていたが、結局今まですべて車で通学。駐車料金は1回3200円かかるのだが、電車代も2400円かかるので「まぁ、いいか」という感じ。一応、自分を納得させるために往復、高速を使わずに走っている。都内の道も昔ほど混んではおらず、千葉よりも都内の方が走りやすい。ただ電動キックボードが多く走っているのと、夜は観光用のゴーカートも走っているので怖いところはあるが・・・。自分は意外に車の運転が好きで、毎回ルートを変えて別の道を通り、東京都心の町並みを見ながら運転するのもなかなかよいもの。前回は雨のせいか道が空いていて早めに東京に入ったので、芝公園から虎ノ門、神谷町、六本木方面を回って西麻布、広尾、白金とぐるりとドライブした。虎ノ門や神谷町あたりは再開発が行われたせいか、道沿いに変わった形のオシャレな大きなビルがあり昔とだいぶ、町並みが変わっている。

東京の道には自信あり(昔の話・・・)

 サラリーマンを辞めたあと、教員になる前、家業の配送を手伝っていたが、バブル崩壊であまり仕事がなく、週3回くらい、港区の電報配達所でアルバイトをしていた関係で、港区の道は結構、隅から隅まで走っていた。また学生時代、バイク便でも都内の道を走りまくっていたので、かつては全国の教員の中で、「都内の道を一番詳しい男」と自称していた。当時は車にナビもなく、道を知っているというのは一つの特技であったので、教員をクビになったら、東京でタクシー運転手をやろうと思っていた。でも今はさすがにすっかり道を忘れてしまっている・・・。

電報配達員のお仕事

 NTTは今年の株主総会で社名を「日本電信電話」から「NTT」に変更したが、「電信」とは電報のことで、かつて電話が一般的に普及する前は最も主要な通信手段だった。NTTは電報を廃止する方向で議論をしているが今のところ、「115」はまだ存続している。自分が配達していたころも通信手段としての役割は失ってはいたが、冠婚葬祭やお祝いなどで広く利用されていた。ということで、配達先の多くは結婚式を行うホテルレストラン結婚式場などの祝電やお葬式を行う青山斎場増上寺泉岳寺などの大きなお寺への弔電。後は社長就任や叙勲などの祝電も多く、大きな会社や社長の自宅にもよく配達に行っていた。大使館もほとんどが港区にあり、大使が新しく就任したりすると祝電が届くので、ほとんどの国の大使館も行ったことがある。テレビ局芸能プロダクションも新しい番組が始まったりすると祝電が出るので赤坂にあるTBS、六本木のテレ朝、お台場のフジ、神谷町のテレ東などもよく行く配達先で、卒業式や入学式のシーズンは学校にも。港区は女子高や女子大も多いので、普段行けないようなところに色々行けるのは、なかなか面白かった。

赤坂御所にも

 電報の配達で特に印象が残っているのが、赤坂御所オウム真理教の青山道場赤坂御所は、平成の頃は、今の天皇陛下が皇太子として住んでいたり、秋篠宮家の自宅があったりしたのだが、ここも、誕生日などに祝電が届いたりするので、御所の中に入って宮家の自宅に直接配達をする。御所の中では、皇族の方も自由に行動しているので、散歩している姿や、真子さんが家の前で遊んでたりしていたのをお見掛けしたことが・・・。

オウム真理教の思い出

 オウム真理教は、サリン事件で一気に有名になったが、事件で騒がれる前は世の中ではちょっと怪しいよくある新興宗教の団体くらいの認識。当時、六本木通りの近くの高樹町あたりに、東京総本部があり、ここには祝電ではなく、一般の電報がよく出ていた。配達員は中身も見られたのだが(本当はみてはいけないかも)、電報の中身は「ケンジ、連絡をよこせ」とか「ヨウコ、母が病気なので連絡して」など、オウムの道場に出家していて連絡がつかない子どもへ親が送る電報。建物の中も、ちらっとしか見えなかったが、変な大きな銀色のダクトがいっぱいあって、これはだいぶ怪しい団体だなと思っていたら、地下鉄サリン事件が・・・。サリン事件があった朝も、ちょうどサリンが撒かれた神谷町に配達に来てきて大変だったが、地下鉄サリン事件の後、連日、東京総本部前も多数マスコミが押し寄せていて、警察の警備線も貼られていた。そんなある日、また「~帰ってこい」という電報が。電報は、郵便の書留のように手渡しで渡すのが原則なので、警備をしている警察に事情を話し、規制線の中へ。マスコミのカメラのフラッシュの嵐の中(マスコミのフラッシュを浴びたのは人生でこれ一度だけ)、建物の入口を開けると、たまたまのタイミングで当時話題の村井秀夫氏がいた。ちなみに村井氏は数日後にこの場所でマスコミがたくさんいる中で右翼の青年に刺されて死亡する。このとき驚いたのは、テレビカメラも自分のことを撮っていて、確かテレ朝だと思ったが、その夜たまたまテレビを見ていたら「オウム、強制捜査へ」みたいな緊急特番が放送されていて、その始めの映像に何と規制線の中に入り入口を開ける自分が写っている・・・。配達の制服が警察の鑑識の人が来ている紺の服とよく似ていて腕章もつけているので、それだけ見ると、まるで鑑識の人が規制線の中に入っていってるようにしか見えない。本当はただの電報配達員なのに・・・。

そう考えると港区にはたくさん思い出がありました・・・。