金八先生を尊敬できない理由

 自分は昔から「3年B組金八先生」の「金八」を教師としてあまり尊敬できない。その理由は簡単、「金八」は部活動の顧問をやっていないからだ。部活動は、そんなに大変ならなくせばよいという論調の話が最近よくでてくるが、学校において部活動は大切な教育的意義を有していることを忘れてはいけない。(5月18日の投稿;学校における部活動が果たす役割とはで述べた通り)しかし、教員にとって、とても負担が大きなものであることは間違いがなくこのままの状況でよいと思わない。自分が昔から思ってきたのは、部活動はこんなにも教員にとって大きな負担であるのに、なぜ教育課程の外に置かれているのかということである。部活動に教育的な意義があることに皆異論はないのに、部活動を学校の教育課程の中に入れようという話がなぜまったく出てこなかったのか。

「部活動は教育課程外」が諸悪の根源

 こどもファーストで考えれば、先生にとって部活動が大変だから学校から切り離そうではなく、先生の負担を少なくして、学校で部活動を行うという方向性が一番であろう。そもそも部活動はその創設以来、ずっと教育課程外に置かれ、そのため賃金も発生せず教師の心意気(教育への情熱)だけでずっと行われてきたことが問題なのではないか。「部活動は教育課程外」という言葉のもと、いくつも不合理なことが学校の中で行われてきた。賃金が発生しないのは勿論、練習試合や小中体連の主催の大会以外の試合も交通費が出ない。休日や平日の朝練、放課後の勤務時間以降の活動(夏場は勤務時間よりも遅くに生徒の最終下校時間が設定されている)など数えればきりがなく、これらのことが、部活動に対する批判や廃止の理由となっているのだが、よく考えるとこれらは部活動自体が悪いのではなく、すべて部活動が教育課程外に置かれていることが悪い。さらに部活動は教育課程外の活動という前提があるので、校内で部活動の顧問をやる人とやらない人がいる。これは普通に考えて不平等なので、この意見を押さえるために中学校では副顧問を含め、全員顧問制をとっている学校が多いが、やはり主で責任を持って指導している教師と副でお手伝い的な立場で入っている教師では負担がまったく違う。そしてこの両者の給料はまったく同じ。そして教育課程内の色々な仕事の負担量も教育課程外である部活動は一切考慮されない。

部活動の地域移行では問題は解決しない

 家庭で自分のこどもが小さく、休日や時間外の活動が難しいというような状況の先生が顧問をやれないというのは理解できるが、ただ「やりたくない」とか「部活はきらい」「自分は無理」と言って部活動の顧問を引き受けない教員も元から相当数いるのである。でもそう考える人がいるのも当然で、教育課程外なのでそれもあり。だが部活動の顧問を引き受けても給料は同じなのはもちろん、部活動での負担は校務分掌でも考慮されない。考慮されないどころか、顧問をやらない人は学級担任も持たないケースが多いため、部活を一生懸命やっている先生のところに、学級担任や何とか主任の校務分掌も重なるのが実際のところ。こういうところが部活動害悪論につながっていると思うのだが、しかしこうなってしまうのはすべて学校の中で人が足りなすぎることが原因である。教諭層の教員を増やし、教育課程内に部活動を位置づけて、その負担も考慮して給料や校務分掌を決めていくことが必要なのだ。例えば部活の顧問も校務分掌の1つとして考え、他に学級担任もしているのに生徒会の顧問や研究主任、学年主任などの校務分掌をやらなくてもよいくらいにはできれば負担はかなり減る。学級担任を中心に仕事をする人、部活動の顧問を主に仕事する人、その他の校務分掌を中心に働く人など、高校ぐらいの規模であればこういうバランスがある程度とれるので、中学校より高校の方が多忙感が少ない気がする。中学校でも今の1.5倍くらいの教員定数配置にすればこの状況は解決できるのではないか。またそれに部活動顧問手当や学級担任手当をある程度の額を支給すれば、家庭の状況や健康面などの理由で顧問や担任をできない人が「やれなくて申し訳ない」という気持ちも持たずに自分の役割の仕事にやりがいを持って臨むことができるはず。今の状況だと部活を地域移行にしてまた「部活の指導をしたい教員は好きに地域クラブの指導者になってやって下さい。」的な感じになっている。元々部活をやりたくないと思っている人はそれでいいかもしれないが、部活動も一生懸命に子供たちのためにやりたいと考えている熱意のある教員はこれではさらに忙しくなるばかり・・・。「好きでやってるんだから大変でもしょうがないでしょ」的な発想は、今までの部活動に対する考え方と変わりはなく、教育に熱意のある人が教師を目指しにくくなる。

少子化なのだから学校教育にもっと予算をかけてほしい

 教員採用試験の志望倍率が低くなって、教員の給料の増額(教員調整額を10%にする)が今国会で審議されている。自分が危惧するのは、どんな教員であっても他の公務員より給料がよくて、採用倍率も低くなることによって、あまり教育に興味や意欲がない人が安定して給料もよいからという理由で教員を志望し採用されてしまうことである。やはり義務教育の年代の教員において第一に必要な資質は「こどものことを考えてこどものために仕事ができる」ことだ。それがない教員と関わって一番しわ寄せが及ぶのは、こどもやこどもを持つ家庭なのだから。要は教育にしっかりと予算をかければ部活動の問題も解決するはずなのだが、小手先で少しづつしか予算を配当しないツケが「部活はブラック」「部活動で先生の仕事が大変で教員のなり手がいないから」という理由に変換され、部活の地域移行という形で、こどもやその家庭にその不利益が及んでいることを忘れてはいけない。

投稿者

管理人ひろ

大学卒業後、サラリーマンとトラックの運転手を経て中学校の教員として30年間勤務。2025年3月、57歳で早期退職。FIREの生活に入る。人生のセカンドステージのキーワードは「志に生きる」

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