ひょうたん島池公園

印西市役所からの帰りに、ひょうたん島池公園というところに芝桜がきれいに咲いているのを発見。この公園の前の道はよく通るので、一度寄ってみたいと思っていたところだ。

行ってみると入口付近には菜の花が一面に咲き、その奥に芝桜が色鮮やかにきれいに敷き詰められている。池の周りを歩いてみるが、平日の昼間なので、人も少なく、いるのは高齢者ばかり5人程度。普段忙しくしている人はなかなかこういうのを見ないよなとおもいつつ自分も花をきれいだなと楽しむ心の余裕がでてきたんだなと感慨に浸る。まあ1つ俳句でも詠んでみようかとも思う。自分の母は山形県の尾花沢というところの出身で、先祖は松尾芭蕉のマブダチで「奥の細道」にも登場する鈴木清風という人なのだ。今まで気づかなかったがもしかしたら子孫の自分にも風流の血が受け継がれているかもしれない。

「紅花大尽」鈴木清風

ちなみにこの鈴木清風は山形県の尾花沢の豪商で紅花大尽とあだ名されている人物。奥の細道の中で松尾芭蕉は彼のことを「かれは富めるものなれど、志いやしからず」と評している。清風にはいくつかの伝説があり、江戸の商人が清風の紅花を買わないよう不買同盟を結んだのに対し、売れないなら全部燃やすと事前に宣伝した上で、実際に燃やしてしまったそうです。このことが江戸中に知れ渡り、紅花は品薄状態となり価格が高騰。しかし清風が燃やしたのはカンナ屑で、清風はこれにより3万両儲けたのです。当時の1両は米の値段を基にすると4万円と考えられているので今の価値にするとざっと12億円でしょうか。でも清風のすごいところはここからで、この商いはまともなものでないとしてそのお金で吉原の大門をしめきって、吉原のすべての遊郭を三日三晩貸し切り遊女を休ませてあげたそうです。当時の遊女は自分の意志ではなく、家の事情でこどもの時に売られてきた人ばかり。お金を社会的弱者である遊女のために使ったこの義侠心を松尾芭蕉は「志いやしからず」と称したのかもしれません。

最後に一句  「風ひかり 池にこぼるる 花じゅうたん」  どうでしょうか・・・。