学校内で色々起こる問題。最初は些細なものだったことがこじれて大きな問題になってしまうことも多くある。こうして大きくなってしまう問題の中には、生徒間のいじめや、教師と生徒の間の指導をめぐるトラブル、教室での物の紛失や盗難、テストの不正行為などがあげられる。またこのような事案は問題を起こした側が素直に非を認めないことも多く、教師にうちの子が疑いをかけられた、犯人扱いされたなど感情的な対立になったりするので、指導がやっかいなものである。
教室への防犯カメラの導入の是非

これらの問題をほぼ一気に解決することができるのに、なぜか学校がやらないことがある。それは教室への防犯カメラの導入である。文科省は、不審者の校内への侵入事件等を受けて、校門や校舎の死角となる部分や建物の入口となる部分に設置することは前向きに捉えているが、一般の教室への設置に関しては、積極的ではない。盗撮など子どもへの性暴力の疑いで教員が逮捕される事件が相次いだことを受けて阿部俊子文部科学相が行った記者会見では、教室の防犯カメラ設置について、複数の人がいて問題が起きにくいことや、子どもの日常を録画することの是非について、「様々な議論がある」として否定的な態度をとっている。また文科省の担当者はプライバシー保護などの観点から「一律に全ての場所での設置が良いという立場ではない」と述べているらしい。そしてお決まりのパターンでその設置の最終判断を学校や市町村に委ねている。
カメラを導入することで、少なくても教室内でのいじめや盗難などの行為の一定のブレーキにもなり、またその証拠を抑えられる。生徒間のいじめや、教師と生徒の間の指導をめぐるトラブル、教室でも物の紛失や盗難、テストの不正行為など、こういった問題の多くが「やった」「やってない」「いった」「いわない」ということがはっきりしないためにその問題がややこしいものになっている。また教師の仕事の中でこういった問題への保護者を含めた対応が多忙感やストレスを大きなものにさせているのだ。
授業のリモート配信は?

文科省が防犯カメラの教室への導入を本当にこどものことを考えてためらっているとは思えない。なぜなら本気でプライバシーの問題を心配しているのであれば、教室の授業のリモートでの配信も問題であるはず。今、授業は教師が一方的に話をする形ではなく、話し合いや生徒の意見の発表などが多い。欠席している児童生徒に、こういう場面を撮らずに黒板のみを映した授業を流しても授業に参加しているとはいえない状況。Zoomや Google Meet、Teams等で教室や授業の様子が学校外にデジタル映像として流れている。しかもこれを録画することはとても簡単。こういった現状を放置しておいて、校内の防犯カメラの設置はプライバシーの問題があるからというのは、人権的な角度から設置を反対する一部の人の意見を恐れているだけとしか思えない。少なくとも教室は個人的な場所ではなく、公共の空間である。ここでの様子がプライバシーとして問題になるのであれば、電車内や公共施設の建物内、公園の防犯カメラも問題であろう。
本当の改革は霞が関で骨抜きにされる

とにかく、時代の変化に対応する改革であっても社会からの反論が予想される案件(それが1割の声であっても)は現状維持が許される状況であれば行わないというのがお役所の発想。何か改革や現状を変化させなくてはいけない場合には、反対意見は必ずツキモノである。本当に改革しなくてならないものも、このように肝心な中身は骨抜きにされ表面を少し上塗りするようなものにされてしまうのが霞が関の常識で、自己変革できない日本社会の負の部分でもある。